※本記事は韓日協力委員会発行の「韓日協力 2017年冬号」に掲載された記事を修正したものです。

中国の現状、そして将来をどう見るか。政治、経済、社会、安全保障などいずれの面をとっても、中国の周辺に位置する日本、そして韓国にとっては極めて重大な問題だ。

 ほんの少し前まで、中韓関係が話題になれば、韓国経済の中国依存度の高さなどから韓国の「中国傾斜論」が指摘され、その一方で日中関係については歴史問題、そして東シナ海、南シナ海での問題から日本が米国とともに「中国包囲網」の構築を望んでいるなどと指摘されることが多かった。しかし、最近は状況が少し変わってきている。

 大きな変化の一つは、今年に入って在韓米軍への最新鋭ミサイル防衛システム「終末高高度地域防衛(THAAD)ミサイル」配備を巡り、中国側が経済的な「報復」措置を取ったために起きた。中国側の高圧的な態度は韓国国民の中国観にも大きな影響を与えた。読売新聞と韓国日報が今年5月に実施した世論調査によると、中国との関係を「悪い」と応えた韓国の回答者は前年の29%から81%と急増。「中国は信頼できない」との回答も59%から80%へと大幅に伸びている。

 一方で日本の姿勢にも若干の変化があった。アジアインフラ投資銀行(AIIB)について韓国は参加、日本は不参加と日韓の対応は分かれたが、今年5月に北京で開かれた現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の国際会議に参加した自民党の二階俊博幹事長は、日本政府はAIIBへの参加を早期に決めるべきだとの認識を示した。これはトランプ政権発足直後の米中関係の影響や中国との強いパイプを持つ二階幹事長の個人的な思い、またそもそもAIIBが、日本政府が予想した以上に安定した運営を続け、国際的にも評価されつつあることなどが背景にあった。

 要するに日本も韓国も、ここ最近の中国への見方、つきあい方はぶれ、揺れ動いている。これまで日本は中国の脅威を大きく、その国際社会で果たす役割についても悲観的に見すぎる一方、韓国は中国の持つ「チャンス」の側面を大きく、また国際社会での役割について楽観的に見すぎていた。それが調整期に入ったといえるかもしれない。

これはそれだけ、13億の人口を抱える中国が多面的な要素を持っているからでもある。中国共産党の一党独裁が続く非民主的で強圧的な側面と同時に、情報技術(IT)と金融を組み合わせたフィンテックの分野など、新たな技術をフルに活用した社会実験にも積極的に取り組み「イノベーション」の現場ともなっている。要するに脅威とチャンスの両方を提供する国なのだ。

 このように中国という存在が多面的であればあるほど、中国という存在を観察し、理解する側の見方も多様である必要がある。

実は最近の日本における中国報道の中で「多様な見方」を読者に最も提供しているのは、新聞、テレビではなく、雑誌やインターネットを活躍の場とするフリーランスの書き手たちだ。

本稿ではそうした書き手の中から、3人の日本の若手チャイナウォッチャーを中心に、日本の中に生まれている中国をより多面的、立体的に描こうとする取り組みを紹介したい。いずれも、大学にも新聞、テレビなど大手メディアにも所属しないフリーランスの作家・ライターたちだ。

 アカデミズムの中国専門家同士の日韓学術交流はすでに行われている。日中韓記者交流などの動きも、それほど活発ではないにせよ存在する。しかし、日本の中国報道におけるこうしたフリーランスのジャーナリストの活躍は、まだ韓国では見落とされているのではないかと思う。

 「中国共産党」や「習近平国家主席」を主語とし、日中韓の対立や競争を主軸にストーリーを組み立てがちな日本の大手新聞による中国報道とは違い、こうしたフリーランスの書き手たちはミクロから、個々人の中国人の視点から中国を描く記事を得意とする。そして新聞記者である私にとっては残念なことだが、日本国民の新聞離れが進む中で、主に雑誌やインターネットを主戦場とするフリーランスの作家・ライターたちの日本国内での影響力は増大する傾向にある。その活躍ぶりを紹介したい。

 

◆「B級ニュース」をまじめに分析

 

 ここ1~2年の間に中国主要都市を訪ねると、黄色や青の制服を着た飲食店のデリバリーサービスのバイクが行き来するのが目につく。顧客はスマートフォンのアプリを使って、自分の近くにある登録された飲食店から自由に料理を取り寄せることができる。昼食から夕食時間の合間には、夏であれば木陰で、こうした何十人ものバイクによる配達員たちが休んでいるのを見ることができる。

 こうしたバイク配達員たちの日常や背景を「スマホ国家・中国で起きた『サイバー三河屋』大暴動の顛末-刃物、棍棒、大乱闘!」という記事を現代ビジネスのニュースサイトに掲載したのは1982年生まれのライター、安田峰俊氏だ。

 ネット記事らしく刺激的な見出しだが、内容はいたってまじめに中国で広がる新サービスと、それに伴って起きている社会問題、そしてその背景について紹介したものだ。

 今年727日夜、四川省成都市温江区で、美団外売の出前配達員100人あまりと住宅街のガードマン十数人が、それぞれ手に凶器を持って武力衝突する事件が発生した、というエピソードの紹介から記事は始まる。「美団外売」というのは料理の取り寄せサービスを請け負う企業のことだ。

 事件の発端は1人の配達員が料理を届けに住宅街に来た際、身分証の登録手続きについてガードマンと口論になったことだった。口論にいらだったガードマンが鉄パイプで配達員をなぐり、配達員がSNSを使って周辺にいた配達員仲間に助けを求めた。すると、100人以上の配達員が仕事を放り出して現場に集まり、ガードマンたちと正面衝突する事態になった。

 こうした配達員たちが住宅街やアパート団地のガードマンたちと衝突したり、別会社の配達員同士で殴り合いのけんかをしたりする事件があちこちで起こっているという。

 記事は、配達員たちがしばしば暴動を起こす背景について「中国における彼らの社会的地位が低すぎることや、イライラが溜まりやすいハードな労働環境も関係している」と指摘する。中国社会では近年ますます格差が高まり、肉体労働者の立場がしばしば軽視されることから「高級住宅街やオフィスビルなどでは、たとえ大嵐や酷暑の日でも配達員が建物内に入ることを禁止し、なかには建物の影で日差しを避けることすら禁じられた例もネット上に投稿されている」のだという。

 こうした配達員たちは地方から都市部に出てきた独身の若者たちが多く、必然的に配達員仲間で同志としての感情を強めていく。ここからが安田氏の解説の面白いところだが、こうした配達員たちの同志感情、結束の強さ、けんかっ早さは中国近現代史の中で運送労働者や炭鉱労働者などのブルーカラー層が、同業者同士の相互扶助のための秘密結社「幇(バン)」を作り、賃金交渉を行い、時には暴動を起こして力をふるっていく課程に似ているという。

 安田氏は「17世紀に明王朝を倒す大反乱を起こした李自成軍も最初は陝西省の運送労働者のグループだったし、中華民国時代に中国最大の秘密結社として知られた『青幇(チンバン)』も、もとは運河の水運労働者の同業者組織であった」とも指摘する。このように中国社会を日常的なトレンドから見つめたうえで、近現代史の知識を加えて俯瞰するのが安田氏の得意技の一つだ。

 安田氏と中国との本格的な関わりは立命館大学の学生だった2001年から1年間、中国の深圳大学に交換留学したところから始まる。その後、広島大学大学院文学研究科で中国近代史を専攻した。修士課程で清朝時代の福建省における村と村の対立、紛争について研究し、その当時の社会風俗関係の資料を山のように読み込んだことが、留学経験とともに安田氏の中国観の下地となった。

 卒業後は企業に勤めるが5ヶ月で退職。実家が仏教のお寺だったために、父親から「ぶらぶらするなら寺を継いではどうか」と言われ、その宗派教団で非正規職員として働きはじめるが、この仕事にも興味がわかなかった。

 定職につかないまま中国のインターネット掲示板に出てくる面白い話を日本語に翻訳するブログなどを書いていたところ、出版社に見いだされ、雑誌に中国関連の記事を書くようになる。当時は仕事を選ぶ余裕はなく、中国の食の汚染問題などをただただ大げさに書き立てる記事もたくさん書いたという。最近は代表作である「境界の民」など単著も増え、「やりたくない仕事は切って、やりたい仕事だけを残せるように」なってきた。

 安田氏の中国への接近方法は、政治・外交といった大きな枠組みのニュースではなく、社会風俗を表す「B級ニュース」をまじめに論じるというものだ。典型的なものが上記のバイク配達員たちの記事だろう。

 こうした現代の社会風俗を、中国近代史の知識と照らし合わせて立体的に映し出すことで「B級ニュース」に深みが出る。「かつて大学院生時代に読み込んだ清朝時代の社会風俗関連の資料にも、変な事件が山のように出てきた。盗賊をする専門の集団の話だとか。それを踏まえて現在の社会ニュースを見ると、類似点が少なくない。もちろん、現代中国の事件はテクノロジー発達の要素が深くかかわってくる。たとえば配達員たちは仕事もケンカもスマートフォンが重要な役割を果たす。そうした中国社会の変化する部分と、変化しない部分を組み合わせて立体的に描くという作業が非常に面白い」と安田氏は中国報道の醍醐味を語っている。

 一方で安田氏の記事・書籍は、「中国分析」という以上に「日本分析」として読むべきものも少なくない。安田氏だけでなく最初からフリーランスの書き手としてキャリアを積んできたチャイナウォッチャーたちにも共通する点だが、一定の記事パターンに縛られがちな新聞記者や新聞出身のジャーナリストよりも自由なスタイルで書く。その結果、基本通りに現場を丹念に歩き、人に会っていくというだけで、結果的に日本社会に存在する中国に対する見方のゆがみ、いびつな部分が浮かび上がるのだ。

 そうした部分は、安田氏の代表作「境界の民-難民、遺民、抵抗者。国と国の境界線に立つ人々(2015年、KADOKAWA)」にも、よく現れる。「境界の民」は、在日ベトナム人、新疆ウイグル自治区とウイグル人たち、中国に住む日中ハーフの若者たち、文化大革命の後遺症に翻弄された日本留学組の中国人、台湾の「ヒマワリ学生運動」などを取り上げた書籍だ。

 ウイグルの問題を取り上げた章では、一部の在日ウイグル人と日本の保守派グループが「反中国」という共通項で結びついていく課程を詳細に検証している。中でも1人の在日ウイグル人が引き起こしたとみられる「スキャンダル」を新疆ウイグル自治区にでかけて裏を取っていく。 

 また、2012年に世界ウイグル会議(WUC)東京大会が開かれた際、ラビア・カーディル氏が日本側支援者と共に靖国神社に参拝した。本来無関係なはずのウイグル人の運動と靖国神社への参拝が突然結びついたことに多くの人が驚いた出来事だったが、この件についても丹念な取材によって、1人の在日ウイグル人の「スタンドプレー」が背景にあったとみられることも明らかにした。安田氏は2015年1月、来日したラビア・カーディル氏に靖国参拝の真意について直接、聞いている。その回答は「(在日ウイグル人の)イリハムに『ウイグル人が眠る多摩霊園に行く』と連れ出され、現地に着いてからどういう場所か知った。彼(イリハム)の誤りは多い」というものだったという。

 安田氏は、この日本の一部保守派と一部の在日ウイグル人の結びつきが引き起こした騒動が、ラビア・カーディル氏という世界的なウイグル人の活動家を巻き込んだことの問題の大きさを、こう指摘する。

 「抑圧に耐える全世界のウイグル人の救いの星だったはずのラビア・カーディルに『日本の歴史修正主義者との結託』という国際政治上で致命的な負のイメージを植え付けた」というのがその理由だ。こうしたイメージを中国政府が利用し、それによって「一般の漢人たちのウイグル人対する認識をより差別的にしていく」とも懸念している。

  安田氏には中国の民主化運動に関する書籍もある。「『暗黒・中国』からの脱出 逃亡・逮捕・拷問・脱獄」(文春親書)は、民主化運動家の手記を抜粋、編集・翻訳したものだが、編訳者としての安田氏は冒頭、「率直に言って、中国の民主化運動への関心はあまりなかった」と書いている。

 「そもそも、近年の中国の政治力や経済力が日本を上回るほど『強く』なった理由は、彼らが人権や民主主義を無視できたからだ。加えて前近代の中国は、洗練された専制体制を武器に、後年の民主主義の歴史よりもずっと長期にわたって世界の先進国となってきた国ではないか、中国共産党の政治は、歴史的に見て最も妥当な中国の形を復活させたものだ。それが国家に強さと豊かさをもたらす以上、庶民にもそれほど悪い話ではなく、ことさら民主化を求めるような主張が支持を得られるわけがない」。

 安田氏は2015年2月、この手記の執筆者である民主化運動家、顔伯釣氏に会うまでは、そう考えていたという。こうした文章は「民主化は大事だ」という「建前」から自由になれない新聞記者には書きにくい。

もちろん、そうした考えがバンコクの中華街での顔氏との出会いで大きく変わった、というように話は続く。ただ、北京の大学副教授を勤めたインテリで、2012年から全国各地で社会問題を話し合う食事会を開くという極めて穏健な「民主化運動」である「新公民運動」の主力メンバーだった顔氏の手記そのものも、感情的な部分を廃して自らの凄惨な体験をも淡々と描写していく。

中国の民主化運動に突き放した見方を持っていた編訳者と、顔氏の筆致があいまって、より一層、中国の民主化運動が抱える困難さを浮かび上がらせる好著となっている。

 

中国のIT(情報技術)現代史を現場から見つめる

 

 「アジアITライター」を名乗る山谷剛史氏は1976年生まれ。東京電機大卒で社会人としてのキャリアはシステムエンジニアとしてスタートした。20代半ばでライターを志す。得意のコンピューター関連の記事をパソコン雑誌で書きたがったが、他のライターとの差別化が必要だった。そこで、もう一つの趣味であり特技である海外旅行を組み合わせることを思い立つ。「海外をほっつき歩きながらIT記事を書こう」と考え、2002年には中国雲南省昆明に引っ越した。

昆明を選んだのは中国でありながら東南アジアと近く、ベトナムにも陸路で行けるなどの利点を考慮したのだという。当時は日本のバックパッカーたちにとって雲南省は「憧れの地」の一つで、2000年代初めまでは日本人留学生だけでも400人程度が暮らしていたという。

山谷氏の最大の強みはITの知識と同時に中国を中心に東南アジア、南アジアなどで新たに誕生する新しいIT機器や最新サービスを、実際にお金を出して使って評価することだ。昆明に移り住んだ当時は、IT関連の中国企業を取材しても実態に即さない美辞麗句や夢のような話ばかりを聞かされ、原稿にならなかったという。そうした経験から、「体験型」のITジャーナリストとしてのスタイルを確立した。

山谷氏がそうした実体験と取材を元に2015年に出版したのが「中国のインターネット史 ワールドワイドウェブからの独立(星海社新書)」だ。

これは中国国内にも類書がない。もちろん、中国語で書かれたインターネット関連の書籍はあるが、インターネット検閲や封鎖、インターネットにおける自由を求める若者の不満やデモといった否定的な側面は書かれていないからだ。

一方で、中国のITサービスをフル活用しながら中国で暮らす山谷氏の視点は、こうした否定的側面を、ただ一方的に批判して切り捨てるわけではない。そこも本書の強みとなっている。

本書によると、1997年の中国のインターネット人口は210万人だった。それが2005年には1億1100万人へと急増する。興味深いことに、その背景の一つには2002年から03年にかけてのSARS(重症急性呼吸器症候群)の広がりもあったという。感染を避けるために市民が外出をせず、家にいながらさまざまなサービスを受けられるインターネットの威力を実感するようになったからだ。当時、上海ではブロードバンドの新規加入が殺到し、検索サイト百度の検索キーワードの上位を「マスク」や「消毒液」が占めた。こうした動きがオンライン・ショッピングへの認識を高めた。「アリババ」が後に巨大電子ショッピング・モールとなる「淘宝網」を立ち上げたのも、この年の9月だった。

その後、中国のインターネット人口はパソコンの価格が下がって行くと共に2007年の2億1000万人、2010年に4億5730万人、2013年には6億1800万人と人口の半数をカバーする水準へと増加していく。

その過程で2006年ごろからインターネット世論が成立を始め、功罪両面が際立ってくる。ネット世論がやや暴走したともいえるのが「人肉捜索」だ。インターネット上で反発を買った匿名の個人をインターネットユーザーたちが特定し、個人情報を暴きだして批判を浴びせる行為を指す言葉だ。本書では06年4月に猫を虐待する写真をネット上に公開した女性が特定されたケース、路上で老人に暴力を振るった男性の勤務先や身分証番号がさらされたケースなどが紹介されている。

 一方、中国国内に多様な意見が存在することを世界に示したのもインターネットだった。を2008年には作家の劉暁波氏らが人権状況の改善などを求めた「08憲章」をインターネット上に公開し、最終的には1万人が転載する形で賛同した。

ミニブログである微博が流行し、2011年前後はかなり自由な意見の存在が可視化されるようになった。本書によれば、2011年7月の死者40人を出した高速鉄道事故以降、微博で中国各地の事件や事故が市民によって実況中継されることが多くなったという。

私(米村)の経験からも、同じことが言える。2010年から11年にかけて北朝鮮の金正日総書記が4回、中国を訪問した。中国メディアは金総書記が帰国の途に着くまで報道を控えるために、私たち海外メディアの記者は必死で金総書記の中国入りや行き場所の確認に追われた。しかし、途中から微博で市民が撮影した金総書記が乗る列車や訪問先の工場などの写真がアップされるようになり、確認作業は格段に楽になった。

ただ、こうした微博の「全盛期」は長くは続かなかったと山谷氏は見る。厳しさを増した検閲のためだ。

本書によると、検閲に関するアイデアそのものはインターネット黎明期である1998年から存在した。その年に公安部がネット検閲のシステムである「金盾工程建設提案」をまとめているという。

 2011年には中東のジャスミン革命を模倣した中国版ジャスミン革命の呼びかけがネット上を駆け巡るが、実際の大きな動きにはつながらなかった。逆に危機感を強めた中国政府が検閲などの取り組みを強化する結果となる。

習近平政権発足以降はさらにこうした圧力は高まった。本書は一つの決定的な場面として2013年8月、中国中央テレビ(CCTV)が主催したフォーラムを挙げる。フォロワー10万人以上の微博ユーザーが集まれ、中国政府のネット担当部署から「発言には相応の責任が伴う」との強い警告を受けた。実際にその後、一部のオピニオンリーダーには恐喝などの容疑で逮捕状も出された。

山谷氏によれば、こうした圧力の結果、市民メディアとして微博の役割は終わり、官庁や企業のマーケティングの手段となってしまったという。

 2014年にはさらに象徴的な出来事が起きた。検索サイト「GOOGLE」のアクセス禁止措置だ。2005年ごろは「百度」と激しい競争を繰り広げていた「GOOGLE」へのアクセスができなくなったことは、山谷氏は「中国のインターネット環境が『ワールドワイドウェブ』から独立したことの象徴だ」と見る。

西側のコンテンツ、有力なインターネットサービスを遮断し、国内のサービスやコンテンツのみを楽しく空間を作り出すことに中国政府は成功した。山谷氏は検閲や自由な言論への政府による圧力を批判しつつも、多くの中国国民にとって今のインターネット空間が快適で居心地の良いものとなっていることも冷静に指摘している。

 

 

◆「中国人の考え方」を日本向けにわかりやすく

 

 ニューズウィーク日本版や自ら運営するニュースサイト「KINBRICKS NOW」で独自の視点の中国・新興国論を発表しているのが高口康太氏だ。山谷氏と同じ1976年生まれ。

千葉大学人文社会科学研究科で中国の近現代史を専攻し、2005年には休学して天津の南開大学で中国国費留学生として3年間学んだ。留学中から中国のニュースを日本語に翻訳するアルバイトを始めたが、ただ翻訳するだけでは、中国の時事ニュースの前提となる知識を持たない日本の読者にはわかりにくいと思い始めたという。そこで、「KINBRICKS NOW」というサイトを作り、そこでそうした前提を含めた解説を始めた。

高口氏の大学院での指導教授の専門は明清代の歴史だ。「地域社会史」という枠組みの研究で、当時の中国人がどのように人脈を作り、活用していたか、個人個人がどのように判断して、どのような利益を得ていくか、という事実を積み上げていくことで社会や歴史全体を描くというものだったという。

そうした視点は安田氏と共通する部分もある。自らの中国に向かうスタンスについて高口氏は「一般的に日本メディアの中国理解は、日本人の視点から見たものが多い。もちろん必要なことであるが、中国人がどういう考え方をしているかというロジックを理解したうえで出来事を見ると、新鮮な見方ができるのではないか。日本人読者におもねりすぎることなく、中国人の考え方をわかりやすく伝えたい」と語っている。

高口氏は2015年に「なぜ、習近平は激怒したのか-人気漫画家が亡命した理由(祥伝社新書)」を出版した。当時、日本に「亡命」して来ていた政治風刺漫画家、王立銘氏について、また王氏が中国を離れなければいけなくなった背景について、王氏へのインタビューを交えながら書いたものだ。

王氏は中国では珍しい辛口の政治風刺漫画家として人気を集めていたが、ビジネス目的での日本滞在中、中国当局から有形無形の圧力を受けて帰国断念に追い込まれた。2014年のことだ。

 王氏は子供の頃から日本のアニメや漫画に親しみ、2009年ごろから辛口ぶりを象徴する「変態唐辛子」のペンネームで風刺漫画をインターネット上などで発表するようになった。大気汚染をはじめとした中国国内の社会問題について風刺画で鋭く問題提起する王さんのスタイルは、若者を中心に絶大な人気を博し、中国版ツイッター「微博」のフォロワーは数十万人に達した。

 知名度を活かして始めた日本や台湾の食品などをネット販売するビジネスも順調に進み、商品拡大のために妻と共に3カ月のビザで14年5月に来日。異変が起きたのは7月末、旅が終盤に差し掛かった頃だった。王さんの微博アカウントが突然、封鎖された。さらに数日後には、ネット販売用の王さんのサイトも閉鎖された。

 決定的だったのは帰国予定日の直前、共産党機関紙人民日報系のサイトに「親日、媚日、漢奸(売国奴)」と王氏を名指しで批判するコラムが掲載され、多数のサイトに転載されたことだ。王さんが訪日期間中に、日本の憲法に基づく平和主義やマナーの良さなどをネット上で紹介したことに対し、コラムは「軍国主義を美化し、日本を持ち上げ、中国をけなしている」とかみついた。さらには「関係部門は法に基づいて調査すべきだ」と犯罪容疑者扱いまでしている。

王氏はその後、2年ほど日本国内で風刺漫画家、コラムニストとして活躍した後、現在は活動の拠点を米国に移している。

高口氏は、この本の中で2011年ごろの中国のインターネット上の熱気について説明する。当時、微博では10万人以上のフォロワーを持つオピニオンリーダーたちが環境汚染や官僚の汚職について問題提起し、実際に社会を変える力を持っていた。

こうした「インターネット公共圏」「ネット論壇」が成立していった時期に、当初はそうしたオピニオンリーダーのファンの一人だった王氏は、画才を活かして社会問題に関する風刺漫画を微博に投稿し、またたくまに渦中の人物になっていった。

この本では王氏の人生の転機を主軸に、そうした熱気が驚くほどあっという間に冷めていく過程が描かれている。一時の熱気が消え、「ネット論壇」がかつての機能を失った一つの傍証として、この本は2012年の高速鉄道事故と2015年の大型客船沈没事故における中国社会の反応の違いを挙げる。

2012年の事故では、鉄道当局が事故直後に列車を土中に埋めるという奇異な行動を取ったこともあって、報道に制限がかかっていたにもかかわらず、微博は事故の話題で持ちきりとなった。こうした声が国の政策にも影響を与える事例となった。

ところが、2015年の客船沈没事故はほとんど社会問題とはならなかった。沈没事故の死者は442人、鉄道事故の40人に比べ11倍もの被害を出していた。そのうえ、本書によれば「フェリーの大型化階層、暴風雨の中の出航、いまだに精しい事故原因が発表されていないことなど、高速鉄道事故以上に不可解な点が多い」という。

 この違いについて高口氏は、政府の対応の早さや不満を持つ遺族に対する圧力をかけたことなどとあわせ、3年前に比べて「ネット論壇」の熱気が冷めてしまってことがあるとみている。ネット論壇の熱気が冷めた背景には、中国政府がインターネット世論の管理や対応の仕方に習熟したことがある、というのが本書の全体的な分析だ。

一方、高口氏の最新刊はやや方向性を変えた「現代中国経営者列伝(星海社新書)」だ。この本ではレノボ(PC)の柳傳志、ハイアール(家電)の張瑞敏、ワハハ(飲料)の宗慶後、華為(通信機器)の任正非、万達(不動産、小売、映画)の王健林、アリババ(EC)の馬雲、優酷(動画配信)の古永鏘、小米(携帯電話)の雷軍の8人を紹介している。

それぞれが一代で、それも短期間に巨大企業を作り上げた個性豊かな人物で、中国の経済成長のダイナミックさ、面白さ、楽しさが8人の半生を通じて伝わってくる内容だ。

本書によると、中国では一代で成り上がった創業者たちの成功物語を「励志書籍」と呼ぶ。そして、「励志書籍」の重要な要素は、創業者の個性、そして成功に導いた一番の能力は何なのか、さらに事業が起動に乗った最初の成功体験、最初につかんだ金「第一桶金」は何か、が書かれていることなのだという。「励志書籍」の大ファンだという高口氏は、この本の中でも、そうした要素をきちんと抑えつつ、中国人以外の読者にもわかりやすいように、かつコンパクトに成功物語をまとめている。

さて、高口氏の直近の書籍2冊のうち1冊は、中国の現状を批判的に見つめたもので、もう1冊はそのダイナミックさを肯定的に見つめたものだといえる。これは偶然なのだろうか。「現代中国経営者列伝」のあとがきで高口氏は、こう書いている。

「『なんでそんなに中国がお好きなんですか?』とよく聞かれる。こう言ってくるのはだいたいが中国嫌いの人だ。逆に『中国の悪いところばかりあげつらって楽しいですか』といわれることもある。こちらは中国好きの人の発言である。好きか嫌いかの二択で問い詰められると困ってしまう」。

そのうえで「好きか嫌いかの二者択一を決めてしまえば、自然と先入観によって物事を素直に見られなくなってしまうのではないか」と指摘している。

本稿で取り上げた3人の筆者は、いずれも中国を好きか嫌いかの二択では決めない人たち、おそらく若干気持ちは「好き」に傾いているが、客観的な視線を忘れない人たちだ。韓国にも同様の視点を持って中国を見つめる書き手たちはいるだろう。こうした新世代のチャイナウォッチャーたちの日韓交流が、今後は重要になってくるのではないか。高口氏が言うように、好き嫌いの二択で見るには、日韓両国にとって中国は重要すぎる国だからだ。